・スネ夫花輪クンみたいな金持ちが公立小学校に通っていた
・庶民の一般家庭でもすき焼きを当たり前に食っていた
・高卒ブルーカラーでも子供を大学まで育て上げて持ち家に住んで老後は年金だけでハワイ旅行に行ったりしていた
・いい家のおぼっちゃんが暴走族やヤンキーになった
・団地出身の公立中学生が洋楽の知識があった
↑こういうのが信じられないの
なぜなら首都圏に生れるか、地方に生れるかで人生が根本的に違うし
同じ大田区民でも下町公立校出身と大岡山の私立上がりじゃあ見える世界が違いすぎて会話の共通項もないから
そりゃ西成みたいな極貧もいたし、バブルの絶頂期だって大企業の令嬢や自民党の大物政治家の子息は「浮世離れ」していただろう
けど金持ちも貧乏人も都会も田舎も低学歴も高学歴も「普通の多数派」の単一の感覚を共有してたのが平成生まれには理解できない
というか34歳の俺ですら理解できん
いや右翼と左翼で対立しまくってたが今より
その西洋じゃタワマンは1960年代がピークでいまじゃ老朽化したスラムだからな(ロンドン火災がそう)
タワマンの行く末は目に見えている
>>6
タワマンみたいなところは建て直しの計画を先に作ってある
日本経済が死んで大手が倒産したら終わりだけどな
とにかく情報が伝わる速度が遅かったから
>>4
ところがテレビの全国放送が普及してそうではなくなったんだよ
山形のド田舎出身の中学生の母親がディープ・パープルを知ってたし、実家には百科事典一式がずらっと並んでた(そういう訪問販売があったらしい)
今山形のいとこの実家に行くと、家に本が1冊もない。本棚がそもそもない。つまり教養がない
いとこは典型的なマイルドヤンキーで「Mステ」で流れるJ-POPしか知らない。選択肢を知らないのよ
洋楽はビリーアイリッシュさえ知らないんだぞ。東京じゃ陽キャは誰でも知ってる洋楽が田舎のマイルドヤンキーには届いていない。鎖国だから
いや、音楽とかではなくてさ
情報だよ情報
今以上に格差は大きかったぞ
黒部ダムだったり都内の地下鉄だったり実際に掘り進めた方々なんて奴隷並の賃金や待遇だった
いや昭和は高卒ブルーカラーでもいつかはクラウンで初任給で新車のカローラに乗ってた
令和は大卒でもセダンが高い。軽すら新車は高い
そういう意味では格差の残酷さは今の方がひどい
昭和の時代はガラの悪い低俗番組(むろん、そういうものもあってもいいとは思う)を
都会の小金持ちの子息も一家そろってゲラゲラ笑っていた。つまりノブレスオブリージュがないというわけだ
令和の今は地上波のテロップをぐちゃぐちゃ貼り付けて芸人がぎゃあぎゃあ騒ぐバラエティ番組を「見ている時点で底辺に寄ってる感じ」はする
民放テレビが衰退したのは、底辺層に寄せすぎてドン・キホーテに入店する「敷居の高さ」が生じるようになったから
底辺層はドンキしか行く店がないので普通に入り浸って深夜でもガキがうろちょろしているが(そのガキすらいまは大人になって赤子を育てる側に回っているが)彼らはデパートに一度も入ったことがない
同様に、新宿の伊勢丹で買い物するような東京の良い層は、ドンキの敷居が高すぎて入らないわけ
>>15
単にネットが出来たからTV見なくても情報が入ってくるようになっただけ
で民法の電波で下品なもの流す必要もないしスポンサーも嫌がるだけ
>>18
ネットは検索ワードを知らなければ検索しようがないでしょ?
知ってる音楽がMステで出て来るJ-POPしかない人は、そのPVを猿のオナニーみたいに延々と見ることになる
ワードを知ってる側はどんどん世界中の良質な音楽に染まるようになるの
俺は子どもの頃にFENで洋楽を知り、タワレコに行き、レコファンヤディスクユニオンで洋楽バッカ漁ってたけど
山形のイトコがビートルズレベルの古典以外の洋楽を一切知らなくてビックリしたのよ。それが14歳の時。20年前だ。もっと格差がひどくなってる
リアル書店がamazonに勝る最大の点がこれでもあるのよ
?
ネットで話題になってるアーティストをポチポチっと検索すればすぐ聞けるわけだが
>>28
その「ネットで話題」がそもそも単一で画一化されたタイムラインであってお前は世間知らずなんだよ
ネットの最大の恩恵を都会人が享受しているというのは、個々にパーソナライズされた趣味をさらに拡張することなんだよ
興味関心が分散している以上「話題」など起きない
いまネットのメジャー文化はマイルドヤンキーの下位互換だよ。上位互換ではなく下位互換
Twitterやニコニコ動画はそうやって没落したの
俺が三十路に突入したあたりから、10個下の大学生世代ではより「顕著」になってることに気づきだしたんだよね
徒歩でちょっと歩けば歌舞伎の入り口のドンキがあるのに。歌舞伎町は水商売にトーヨコ、日本最大の底辺の寄せ集めの「DQNの中心」だ
>>17
そんなの昭和も同じ
デパートいくときはよそ行きの服で精一杯背伸びして行ってた
あと昭和の時代は田舎にもデパートがあった
デパートに行けば一流ブランドの服があったし、祭事スペースでは世界の物産展とかちょっとした美術展もやっていた
つまり田舎者でもハイカルチャーの片りんに触れられたんだよ
いまそういうデパート閉店したでしょ
跡地はMEGAドンキが居ぬきで入ることもある。そこはドンキのDQNの消費空間しかない
選択肢がそこしかないので、みんなドンキ文化に染まるようになる。先人式で暴れたり散々警察の厄介になるヤンキーもそうだし
そうではない一般層も何となく寄っていく。これが「マイルドヤンキー」の発生の理由だと俺は思うわけ
最上限の商業空間がMEGAドンキしか知らない若者は、一生文化資本を養うことなく分断された下層空間に生きて行くのだ
同時に東京の上等出身で、親に連れられて大岡山のオシャレな商店街で買い物をしたり、たまに新宿の伊勢丹に行くような層は、ドンキの世界を知らないまま大人になる
田舎でもネットで買えるじゃんハイブランド
今でも地方民にとっては当たり前だが?
それエアプだぞ
東京民って地方の事を知らんのにエアプするよな
昭和の時代は都会も田舎も映画館は同じで、スクリーンが1つで、そこで同じハリウッド映画を見ていた
田舎はイオンシネマが普及した結果テレビ脳の田舎者が好きそうなドラマ実写版系の邦画しか上映しなくなりメジャーな洋画すら見づらくなった(シネコンとはいえ田舎なのでスクリーンは少ない)
対して都会はメジャーな洋画を見ていた層が、それじゃ飽き足らなくアンリミニシアターで全世界の映画を見るようになった。ネットで国境がなくなり、情報が全世界から入るようになったのでね
ある側は「選択肢を失い」ある側は「選択肢を拡張しすぎた」のがいまだ
結果洋画のメジャー作品は日本では売れづらくなっているのよ
映画の配給会社の人から聞いた話と、個人的経験の話
映画もネットで見る時代だろ
都会だと、首都圏郊外の街でもジュンク堂の巨大書店ができたりしているのよ
人口が多く所得も多いので、幅広いジャンルの本を購入する需要があるから
替わりに「まちの書店」は潰れているが
田舎は人口減少で「まちの書店」が潰れている
すると田舎のマイルドヤンキーが書物に触れる機会はコンビニの雑誌コーナーくらいになる
そっから先を考えると恐ろしいでしょ?
わからなかったな
田舎も都会も富裕層も貧乏人も
回数は違えど家族で「すき焼き」を喰えたし、本棚には百科事典がずらっと並んでいて教養へのアクセス手段があったし
まちの映画館で洋画も見れたし、まちの書店で本を買えたし、個人経営のレコード屋で洋楽も入ってきた
国内外の上位文化に触れる機会は貧乏にも田舎にもあった
いまは違う
都会は同じ大田区民でも生まれた地区の違いで文化レベルやその後の人生や社会階級が決まってしまうし
田舎は中産階級、場合によっては名家の子息でさえ、しまむらで買ったスウェットを着てクロックスで百貨店の抜け殻のMEGAドンキに行って「Mステ」でJ-POPなんだよ
この国終わってるだろ
まぁ教養がないやつは情報にアクセスすることすらできないって話だろ?
知らざるを知らず
情報が溢れかえって誰でも簡単に欲しい情報を得られるからこそって感じかな
>>39
層なんだけど昔は農村の集落の家でも百科事典がずらっと並んでいて
その家に育った子供はそれを暇つぶしに読んでいるうちに教養を知れたのよ
だが今は百科事典以前に本棚がないの。田舎の平均的マイルドヤンキー層は
逆に都会は、Z世代になるほど「マセた」子どもが増えていて、俺らでもビックリする教養があったりする。スーツくんだって板橋出身
都会だと美術館やら博物館やら科学館やらに行こうと思えばいつでも行ける環境なので
地方だと本屋すらまともにない
田舎の家にあるずらっと並んだ百科事典こそ
パソコンのなかった時代のインターネットなんだよ
検索ワードのとっかかりだね
暇だから家に転がってた本を読んだってのはあるあるだな
いまだと暇つぶしのツールが多すぎてそういう機会は失われてしまったな
昭和の百科事典ない家はいくらでもあった
昭和を勘違いしすぎ
それは「最底辺の家」でしょ
君も田舎のヤンキーの話でしょ
外食はマクドナルドしか行ったことない人は
マクドナルドが一番美味しい食事だと思うし、外食の選択肢はマクドナルドしか思い浮かばない
そういう人だけがネットを持ってていたら、食べログはマックが最高評価になるし、マクドナルドの話題だけで「ネットで話題」が埋まる
これ
アメリカで起きている格差社会の分断問題が日本でも成り立っているのが平成と昭和の最大の違いだということ
田舎だと情報を得る手段はそんなもんだけど、それでも興味持てばなんとか情報は得られた
さらには田舎でもTSUTAYAとかができたしね
>昔は深夜に洋楽を紹介する番組とかやってたし、ラジオなんかでも洋楽がよくかかってたな
>田舎だと情報を得る手段はそんなもんだけど、それでも興味持てばなんとか情報は得られた
俺の母親が山形の中学生でディープ・パープル知ってたし、LPのかけかたしってた理由はそれだろうね
>さらには田舎でもTSUTAYAとかができたしね
ところがいまはTSUTAYAが閉店する時代なんですわ。選択肢を持たないままネットに触れても永遠のJ-POP地獄ですよ
今はネットがあるから興味さえあれば能動的に情報を得ていけるだろうね
これだけネットが発達してあらゆる情報にアクセスできるにも関わらず世の中の人間たちが狭い範囲の情報しか取得しようとしないっていうのは不思議だけど
いまの日本で一番ひどいのは欧米文化格差だろうな
昭和の時代は映画は洋画、音楽は洋楽、食事は洋食化だった
平成以降は「欧米文化」がありふれすぎたので都会はマニアックになった
たとえば2010年代に東京では南インドカレーブームが起きたが、当時山形のイトコは知らなかった
これは洋食に飽きた人がエスニックを求めてインドカレー屋に行くようになったが、そのインドカレーもナンにつける北部式が主流で
それに飽きた層が南インドのカレーに走ったことで起きたブームだった
だが山形のイトコの周辺にはインドカレー屋がそもそもないのよ
だってマクドナルドがソ連より後に進出した県だよ。サイゼすら知らなかった
いっぽう田舎は地上波テレビで洋ドラを放送したりしなくなったので欧米でメジャーなカルチャーが届きづらくなってる
田舎では欧米ではメジャーなコンテンツさえ届かない。東京はメジャーな欧米文化はもう飽き飽きしてマニアックになっている
ネットがあるんだからいくらでも興味ある分野にアクセスできる
地上波テレビとか、全国どこにでもあるデパートとか、そういう国民総中流時代の平均値の文化資本がなくなり
地上波テレビは田舎の高卒向けのゴミ・バラエティ番組「だけ」になり、新宿伊勢丹は昔よりリニューアルされて綺麗になって洗練されたが、田舎はMEGAドンキだけになって
結果的に「メジャーな洋楽、メジャーな洋画に触れるだけでも突出したインテリ」みたいになってるのが今の田舎なんだよ
これは30年前~50年前より確実に後退しているよね
当時の田舎にマクドナルドはなかったが、最新の洋画、洋楽、洋ドラは知ってて当たり前だったよ
ネットが発達した反面、そういうオールドメディア(?)は都会と田舎で再び二極化してるのは謎だね
って騒いでるようなもの
昭和の田舎が「豊かすぎて」ビックリするよマジで
今の方が豊かだと思うけどね
マクドナルドが昔は高級レストランだったし
ハワイ旅行も1ドル360円だった
どんどん世界は良くなっているよ
セイユーの割引半額惣菜で一杯一杯だろうな
結構間違えてるよ
これ
だな
地方都市を下げ過ぎ
実際に日本の格差はバブル崩壊以降拡大している
それはジニ係数にも現れてる
昭和生まれだけど信じられないよ
でも収入の低さを「未来への希望」で補えたのは知ってるよ
でも平成になってから社会に出た途端に
「お前は身分の低い人間だ」って
何だかよくわからない身分制度に組み込まれたよ
昭和の頃小学生だったけど同級生でいじめられた鬱憤を飼い犬蹴って晴らすクズとか
家で満足に食べ物食わせてもらえないから弱いやつ殴っていじめて金取ってタバコ買ってたのとかいたぞー
コメントを書く
昭和を勘違いしてるというか美化してるというか