https://dot.asahi.com/dot/2020121500061.html?page=1
ついにニコンは、70年以上続けてきたカメラボディーの国内生産に幕を下ろす。これまでボディーの製造は、
宮城県にある「仙台ニコン」と、タイの「ニコンタイランド(NTC)」で行ってきたが、コスト削減のため、タイ工場に集約する。
ミラーレスカメラZ 7、Z 6の生産は9月末で完了し、10月からタイへの生産移管準備を開始している。
デジタル一眼レフのD6も2021年度中にタイへ生産を移管する予定だ。
1971年に設立された仙台ニコンは、仙台市の南に接する名取市にある。一眼レフの生産は「リトルニコン」の愛称で知られる
EM(79年発売)から始まり、徐々に高級機の生産へとシフトしていった。海外の生産工場に対して技術指導を行う
「マザー工場」としての役割も担ってきた。
私はこれまで仙台ニコンを取材で3回訪れたことがある。最近の製造現場はカメラのデジタル化にともないクリーンルーム化されているが、
それ以前はニコンF5など、フィルムカメラが作られる様子をすぐ横に立って見ることができたのはいい思い出だ。
■「ニコンは一つ」 目に飛び込んできた応援メッセージ
なかでもいちばん印象に残ったのが2013年の訪問だった。
その2年前、名取市は東日本大震災の大津波に襲われた。仙台ニコンの工場には津波は達しなかったものの、
地震の揺れによって大きな被害を受けた。
工場に足を踏み入れると、大きな文字で「ニコンは一つ」と書かれた横断幕が目に飛び込んできた。
そこにはたくさんの応援メッセージが書き込まれていた。被災した仙台ニコンを激励するため、NTCから贈られたものという。
会議室に招き入れられ、身が引き締まる思いがしたのは、担当者がこうあいさつしたときだった。
「誠に残念ながら、東日本大震災により仙台ニコンの従業員にも犠牲者が出ました。亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りします。
これから東日本大震災による被害状況、そしてどう復旧していったかを説明します」
前方のスクリーンに海岸沿い大きな松の林が映し出され、その上を津波が越えてくる。
「仙台空港の近くです。この集落にも社員の家がありましたが、津波で流されました」
画面が切り替わる。工場の東、海辺にある閖上(ゆりあげ)地区を小さな丘の上から見渡すように写している。
立ち並んでいた住宅のほぼすべてが押し流され、基礎部分だけが残っている。説明もなく、誰も何も言わず、ただじっと画面を見つめた。
■最優先課題だったFマウントの生産再開
そして、震災直後の工場内。あらゆる種類の部品が床に散乱し、そのなかに無残にも調整用の機器が倒れ込んでいる。
それがもっとも被害が大きかったカメラの組み立て工程の現場だった。バヨネットマウント(Fマウント)の加工機の上にあったクレーンも落下。
何トンもある電装工程用の設備も滑り動いた。
「でも、あれだけいろいろなものが倒れて、天井の一部も落ちましたが、工場内では一人のけが人も出なかったんです」
仙台ニコンは1978年の宮城県沖地震などを教訓に、地震発生を揺れの前に知らせる警報システムを導入。避難訓練も行ってきた。
建屋をかなり補強したことも幸いしたという。
地震発生から3日後の3月14日、斎藤二郎社長(当時)が出社してきた従業員にハンドマイクで呼びかけ、工場の復旧活動が始まった。
最優先課題はカメラボディーと交換レンズを結合するバヨネットマウントの生産再開だった。この部品の供給がストップしてしまうと、
仙台ニコン以外のカメラ、レンズ工場の生産も止まってしまう。幸運にもマウント加工機に落下したクレーンを引き上げると、
機械の破損は軽微だった。
精密な測定機器を調整するにはかなりの時間を要するのがふつうだが、必死の努力が実り、同月28日には一部の生産ラインを
再開することができたという。
■熟練が要求されるファインダーの調整、シャッターユニットの組み立て
会議室での説明の後、ニコンD800の「総組み工程」に案内された。そこには見学用に設けられたスペースがあり、
クリーンルーム内でカメラが組み立てられていく様子を窓越しに見ることができた。全長80メートルほどの細長い形の部屋で、
その奥ではD4が作られていた。
※以下、全文はソースで。
ニコンが負けたとかキヤノン、ソニーが勝ったとかいう話ではなく、日本が誇ってきたカメラ産業がスマホに駆逐され、終焉に向かう中での一コマにすぎない
全てのカメラメーカーはもう、詰んでいる
オレはニコンのレンズ資産多いからまだ併用してるが
メンテしてくれるところは国内のどこにでもあるし
キヤノンに対しては35年前に、ソニーに対しては10年前に負けが見えてたメーカー。半導体露光で延命出来ただけだが、半導体も他のメーカーに負けた
30年前、汎用フライスで試作ステッパーを作っていたのが懐かしい
何処まで行っても人件費だからな
結局、日本にとって最悪のタイミングでグローバル化が起きた
ミラーレスになって、これまでペンタブリズムの研磨技術がなかった中韓のメーカーが大挙して参入してくるって言われてたのに
みんな携帯作るのに夢中で、誰もカメラ市場にやって来ない・・・
タムロンやシグマのライバルだな
スマホの3眼カメラとかよりコンデジのほうが未だに使いやすい時あるわ
スマホだとシャッター押したタイミングと実際に写すタイミングがズレたりして家に帰って写真整理してるとボケたりブレたりした写真が多いと感じるわ
国営企業だったから戦時中にドイツのカール・ツァイスの設計図をもらって丸写しできたからね。
国内で作ると無駄に高くなる
>>51
でもコロナみたいな有事の時は
海外に工場あると、手に入らなくなるよ
中国が戦争準備しているとか噂あるし
カメラは趣味の品だよ。
品質が同じでも日本製がほしいという需要は小さくない。
資生堂は東南アジア産の化粧品を中国に輸出して総すかんを食らい
結局、日本産の輸出に切り替えたくらいだよ。
スマフォが出てきて、単体カメラが趣味モノになる時期、α7で古今東西の銘レンズを殆ど遊べるようにした時点でソニー1択だったよ。カメラ板は、ソニースレがニコ爺に執拗に攻撃された。
ミノルタの技術なんだろうな
ソニーがこうなったのは、裏面照射イメージセンサーで成功したから
センサー内製できないニコン、できるけど裏面照射作れないキヤノンは辛い
ニコンが悪いんじゃなくて、ソニーが桁違いにすごいって聞いた
ロバートキャパやらプレッソンやら、伝説のライカ使いがいたからなのか?
nikonにはそうゆう魅力はあるのかな?
作りの良さがニコン
キヤノンはスペックに載る所しか頑張らないけど、
スペックに載らない様な所の細かい所も頑張ってくれるので安心できるメーカーなんだよな
買ってからキヤノンR5みたいにメニューが使いにくくて後悔したりとかがない。
キヤノンに技術で大きく勝っているのに宣伝で負けて縮小ってのも、なんだかなぁ・・・
SONYはミラーレスはセンサー含めて負けても仕方ない面があるけど、キヤノンに負けてしまうのは納得できないね
少なくともニコンはマジオワコンです。
コスト削減したいなら作るのやめちまえ
相当な目利きでもない限り写真だけ見て
スマホか高級機種か判断つかないでしょ?
>>135
タイには既にカメラやレンズの工場が有った。
国内の工場を閉めて、タイに集約するって記事だよ、
寂しい話ではある。
カメラはプロ向けに特化して縮小するしか
ところが世界中にあったプロサービス拠点を絶賛閉鎖中。
それくらいもうヤバい。
半導体製造装置事業も時代遅れでダメらしいから
もう終わり
(´・ω・`)
引用元: ・【Nikon】ニコンがカメラ本体の国内生産を終了へ。アサヒカメラ記者が見た「ニコンは一つ」の思い [記憶たどり。★]
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