性能面ではいまいち確信が持てない
メガドライブは色数が少ないのが痛かったね。具体的に言うとパレット数が少ない。
PCエンジンは512色中16色/1キャラx16パレット=256色が画面内に出せる。
メガドライブは512色中16色/1キャラx4パレット=64色中しか画面内に出せない。
なので色数に少ないから汚い。
ただメガドライブはBG2枚の2重スクロールなどできた
PCエンジンはBG1枚しかない。
PCエンジンは大型スプライト機能が充実してたから、多重スクロールはなんとかなった。
メガドライブは、ノイズ混じりで全く聞き取れないPCMがひどかったなー。
あれがなければ、もう少し評価もかわってたと思うよ。
でもメガドラよりは圧倒的にキレイだけど
32Xでは増やせたけど遅いだろ
単にセガが色数の少なさを問題と思ってなかったからと思われる
PCM8チャンネル積んで拡大縮小2軸回転つけて
スーファミのスペックを上回ることしか考えてなさそうな感じが実にセガっぽくて好感が持てる
FCですら専用に開発してたのに…
PCエンジンのビジュアルゲームに対抗しつつ
アーケードタイトルも遜色無く出せたのに(見た目だけは
メガCDは値段高かったからあれを普及させようというのはムリゲー
って書くとセガが考えなしに価格的設定したって言われそうだから一応フォローしとくと当時のCDROMドライブはほんとに高かった
ドライブとあとはRAMだな
スーパーシステムカードが1.5Mbで9800円で出したのだが
これでは儲けが出ないって事でNECが初回出荷以降の再出荷渋って難民が出て専門誌でも取り上げられた
メガCDはこれを6Mbも載せて本体を49800円で出したのだからかなり頑張ってる
同時期に出たスーパーCD本体は4Mbも搭載RAMが少なくて47800円とほとんど差がなかったし
両方CDも持ってたけどこんな感じ
アケ移植→メガドラ
移植マルチ→メガドラ
CDROMゲー→PCECD
オリジナルゲー→PCE
ゲームアーツ→メガCD
実際の処理能力はどちらもさほど変わらない気が
PCEのコンパクトさはいいね
色数を我慢するメガドラか
音色を我慢するPCEか
メガドラが厳しかったのは覚えてる
サードソフト的に
PCEは平均点は凄く高いが
メガCDはピークが凄い。主にゲームアーツ作の。
重低音が無い物足りない感じがすごくする
ほんとCPUに付属させただけのものって感じ
あれでアウトランなんかを演奏させるのは酷
ハドソンのシューティングゲームのサウンドはかなり使い倒してたね
十数年前だけどPCエンジンの波形メモリをガラケーのゲーム着メロ制作でFM音源に移植するのやっていたけど波形(PCM)のチョイスでかなり良い音出てたね
ソルジャーブレイドの移植は良い思い出
ゲームの顔であるCGを計算するコンピューターの性能が16ビットだったため当時のコンシューマ機のグラフィックではオーパーツ的な絵を出していた(巨大スプライトや同時表示色数)
当時というのはPCエンジン発売時期のライバル機はというとファミコンとセガマーク3ね
なのでメガドラのあの構成であの値段というのはかなりお得感があった
あれでセガ伝統の専用BASICでもあればパソコンにもなったんだが
ストライダー飛竜もメガドラ版の出来が良かったな
X68000と比べても負けてなかったし
クオリティ高いアクションが豊富だし
メガCDは性能はあったがゲームが揃ってなかった
アーケードカードも、そこまでゲームが揃っているとは言い難いけどなぁ
SG、アーケードカード、32X辺りはどれも微妙な印象
良いソフトもあるにはあるんだけどね
>>66
スペック的にはPCエンジンこそが「スーパーファミコン」なんだよね
FCに使われてる6502CPUを4倍にクロックアップさせ
8ビットでありながら16ビット級の性能を発揮し
88年の時点でCD-ROMまで採用する時代の先取りっぷり
PCエンジンの3年後に発売した実際のSFCは処理速度でPCエンジンに負けてる
PCエンジンでも出来る事をSFCに遣らせたらPCエンジンのが勝ると言う意味で言えば高性能だけど
SFCはPCエンジンには出来ない事が出来きた訳でそういう部分を無視して性能や仕様を語るのも
なんか片手落ちだと思うんだけどね
>>79
スーファミはCPUが速くなかったところが欠点だったね。
あと初期のROMは低速だったこともクロック周波数が低い要因という話もあるね。
最初から3.58MHz駆動できてれば処理落ちもそこまで気にならなかったのかも。
スーパーアレスタとかは敵わんさか出でも処理落ちほとんど無かったから速いROMだったのかも。
スーファミ後期には本体CPUを3倍速(10.74MHz駆動)にしたCPU(SA-1)をカセット搭載、拡張して、本体CPUと合わせて4倍速化して、カービィとか高速処理してたけど、あれも最初から本体に搭載してれば他より高速でいいマシンだったと思う。
スーパーFXでスプライト回転拡縮とかできたし、拡張性のあるマシンではあったけどね。
圧倒的に出来はいい。
PCエンジンはBGが2画面無いとか一部残念な仕様があるので、なかなか苦労して
移植してるからな。
いわゆる「メガドラっぽいソフト」ばかりが目に付く。人によってはパラダイス、人によっては遊べるものが何もない。
アベニューはむしろ頑張ってソフトを出してた記憶しかねぇわ
そういう時代でもあったけど、ガンガン移植を持ってくるしオリジナル要素も付けてた
今は中小零細が死滅状態で、人気IPも激減してる中でSONYは囲い込むし、大手も他社に権利貸しもなかなかしない
そもそも当時はACとCSの性能差が大きくて開発ラインも別系統な上に
CS自体も機種毎の性能、特性が全く別物だから
現在のようなマルチ前提で開発が出来る時代の感覚で語る事自体が間違っていると思うけどね
>>74
当時のCSは「いかにACに近づけるか」に腐心してたっけなあ
FC源平討魔伝みたいに開き直った例もあったけど
SFCファイナルファイトは欠陥だらけで色々言われてたけど
それでもAC版の攻略法がそのまま通用した点は評価された
基本、ACの移植作品ってのはそのものを家でも遊びたいと言う要求に応えるためのものだから
オリジナルに忠実である事を評価されるのは当然ではあるけど
逆にスペランカーみたいなFCの独自仕様が全く別のゲーム性を生んだ結果
オリジナルより有名になったパターンもあるのが面白い時代でもあったね
メガドライブの大魔界村とストライダー飛龍は驚いた
友達みんなと遊ぶモトローダーは本当に面白かった…
なんか泣きそう
PCエンジンの音はショボいと感じてしまう不思議
>>82
ファミコン音源は矩形波2、三角波、ノイズ、デルタPCMで、矩形波や三角波はクリアな音だからね。
PCエンジンは波形メモリ音源だから、音色幅は広いけど記録できる波形が短すぎて音質が悪い。ディンディンみたいな音になる。
ナムコ基板もマッピーなど波形メモリをメインにしてたね。
コナミSCC音源も波形メモリ方式だけと、PCエンジンより音質いい。
ファミコン悪魔城伝説で搭載してたね。
ファミコンディスクシステムも波形メモリ方式だけど音質高く、FM音源ぽく機能拡張されてた。
うんだからこそ波形メモリ音源の音色は素材になるPCMデータで決まるからね
ちなみにスクエア波やサイン波や三角波はFM音源でほぼ再現できるんだよな
メガドライブもFM音源だったけど、2オペレーターだったから音色の幅と質がだめだったなー。
X68000やゲーセン基板みたいに4オペレーターだったらメチャ音色音質良かったけど、2オペだと音色がなー。
どうしてもジェーンジェーンみたな音色ばかりになる。
当時メガドラのサウンドチップ知った時なぜOPM系つまなかったんだよて思ったわ
その後最後の真の2D最強マシンはセガサターンになるんだけどね
メガドラは4オペレータだよ
てかファンタジーゾーンとかダライアスの音聴けば判るだろ
>>104
あー4オペだったか。失礼勘違いだった。
メガドライブはYM2612だね。4オペ6chだったね。
X68000はYM2151で4オペ8chでゲーセン基板によく使われてたやつだけど、それに比べると音が悪い感じったのは気のせいなのかな?
OPNのが一部パラメータ簡略化されてるけど大差ない
アーケードはほぼOKIのPCMがセットで付いてくるからその差が大きいんじゃないかと
確かにX68Kは8chFMとADPCMだったから
音に差を感じたのかもね。X68Kユーザーだったから。
そうそう思い出した
確かファンタジーゾーンのアーケード版のYM2151(OPM) は8チャンネルなんだけどメガドラ版で足りない2パートはハイハットとか誤魔化せるパートはPSGで鳴らしてたはず
メガドライブに載ってるYM2612(OPL)はYM2151とアルゴリズムは一緒だからメロディーパートの音色は遜色無かったね
セガマスターシステムのFM音源が2オペレーターのYM2413で、これと勘違いしてた。
MDは16bitだけど同時発色数が少なくて空の色とか汚かったね
メッシュで誤魔化すしかない
音はFM音源積んだMDの圧勝
けどPCエンジンはCDロムロムが付くと逆転
それだけにSGを見たときの落胆は大きかったわ…
PCエンジン開発した(チップ類も)ハドソンは当時相当技術力高くて有名だったからね
チップは概要だけ設計して実際につくったのはエプソンでは?
そりゃ自社ファブ持ってないんだから当たり前じゃん
AMDやアップルやGoogleやNvidiaだって無いよ、半導体製品はファウンドリに製造委託するのが殆ど
てかその設計が出来るのが凄いんだよ
>>114
曖昧な記憶だからウキで見たら共同開発だね
wikiより抜粋
チップの開発 編集
当時、ハドソンの目指す高度な表現に対してファミコンやパソコンの「性能の限界が見えてきた」という状況に直面していた。この問題に対して「自分たちが欲しいものを自分たちの手で作り上げる」という目的でハドソン社長工藤浩をはじめとしたハドソン技術者たちが動き出した(ハドソンはシステム開発も行っており、また半導体技術者も擁していた)。ハドソン技術者の山村喜美夫は「ハードを作るという発想ではなく、ソフトを作る発想で開発が始まったんです。ハードメーカーがハードを作ってくれないなら、性能を上げるためのチップを作ってみようということになったわけです。最初から新しいハードを作ろうとしていたわけではなく、あくまでチップの開発だったんです」と語っている。
この時点ではビジネスのことは考えておらず、単純に「自分たちの夢を追いかけただけ」である。
しかし、半導体メーカーではないハドソン単体ではチップを作ることができない。開発者(岡田節男・山村喜美夫、他1名)が仕様書を書き、半導体メーカーに持ち込んでも「北海道から来た訳のわからない会社」では信用されない。NECを含む国内の主な半導体メーカーには断られた[9]。
最後に訪問したセイコーエプソン(以下エプソン)で、ようやく工藤の話をまともに聞いてくれた。ここで工藤は「別に売るつもりはないから、とにかく一個作ってほしいんだ」「自分の机にファミコンより性能のいいゲーム機があればいいんです」という話をしている。対するエプソン担当者が開発には相当な額がかかると言うと、工藤は「お金はいくらでも用意します。何なら、いまここに積みますから」と返した。この時点で相手もあきれていたと後に工藤は言っている。
こうしてチップの開発はスタートした。ハドソン、エプソン双方のメンバーがほぼ同年代で、細かい点ではよく話し合って決めた部分もあるので山村は「一緒に作ったという感覚が強い」と証言している。そして完成したのが『Hu-7(工藤の証言より。山村の証言ではHu6270と呼んでいる)』と呼ばれるチップである(山村はHu6270の開発スタートが1985年春、Hu6270の完成のめどがつき、次の段階に進んだのが1985年末から1986年初め頃と証言している)。費用は2億円、数量として「1000個だか10000個だか(工藤の証言より)」が作られた。
シンプルな波形メモリに何かモジュレータ、色んな固定波形に可変デューティ比、DPCM・ADPCMの高性能発展系、
こんな安っぽい仕組みでも相当多彩な音になったんじゃねえのかなあって
スト2やドラキュラXなど一部で90色ぐらい
アフターバーナー2も完全にPCEに負けてて悔しかった。
PCエンジンのAB2は静止画だけ
動きはカクカクだし遠近感無いし音も非常にショボい
プレイする分にはメガドラ版の圧勝だよ
スペハリはPCエンジンが圧倒的に良い
スペハリは2だしロンチだし
32X版と比較しよう(卑怯)
コナミ本気だと思った
真の完全版はSDスナッチャー
出るのが遅すぎたが
2人対戦すらマルチタップ必要ってのは駄目だった
バックアップに関しては天の声2が2600円と安かったし
ソフト1本ごとにSRAM積んで高くなるよりも長い目で見るとこっちの方が安上がりだった
色数の多いPCEが色々特してた印象。雑誌写りが良い&当時比較動画なんて無かった。
でもソニック辺りからセンスの良い画作りのソフトが出だしたのと、爆速CPUのPCEにも不得手があったのを後に知る。本体メモリのせいでマトモなベルスクが作れない。
FCもだけどMDは初期と後期で同じハードかってくらいソフトの出来が違った。が、遅すぎた印象。PCEはその頃CDromで独自路線を突っ走ってた。MDはセガのマシンであり、PCEはPCEだった。
PCエンジンの方が画面綺麗で音も良かったな
LRボタンを思いつけとは言わないけどボタン増やす発想くらい出てこなかったのかな
ボタンが8個だと8ビットで処理出来るんだよ
各ボタンに1ビットを割り当てる事で全てのボタンのオンオフの組み合わせを1度のロードで検出出来る
そういう意味で言うとPCエンジンの6ボタンパッドなんかは些細な拡張に見えてプログラム的には結構な負担だったんじゃないかな
メガドラはやっぱり濃い
あの頃はヤキモキしたもんだけど、結局全機種持ちになって、今は其々ハードの特徴が出てて良かったなぁと。
そして今、また同じような争いしとる。歴史は繰り返すんやな。
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